前回は、ワッソンとデイにによる近代的な測量による地図について記載しました。
今回は、三角測量による地図作成について調べてみます。
明治8年から、本格的な三角測量が行われましたが、明治9年にデイが帰国したことから、福士成豊が三角測量を統括することになりました。
しかしながら、この事業は明治9年11月に中止されました。
この測量の結果は、「北海道実測図」や「三角測量北海道之図」として発刊されました。 これは、確かに近代的な三角測量によるものでしたが、北海道の沿岸部と内陸の一部だけでした。
北海道全体の三角測量は、大正時代の陸地測量部の5万分の一地図までありませんでした。
陸地測量部の明治時代の5万分の1地図の新十津川徳富川の部分図が下の図です。現代の地図と比較すると正確さには少々問題がありますが、アイヌ語の河川名が多数、記載されています。

下の図は、大正時代の陸地測量部の5万分の1地図の上と同じ部分です。三角点が設置され、現代の地図と比較しても、ほぼ同一の正確さですが、アイヌ語の河川名は減少し、しかもどの位置か不明であるような記載です。
明治の陸地測量部の地図の地名は、永田方正の「蝦夷語地名解」の地名と関係していることが知られています。このことから、明治時代の地図作成では、アイヌ語地名を採取することに重きを置いていたようです。それに対し、大正時代の地図作成では、アイヌ語地名にはまったく興味がなかったようです。
それよりも、いかに正確な地図を作成するかに重点があったようです。



とても興味深い内容で楽しませて頂いております。
今後の成果も期待しております。
卍↓さん、コメントありがとうございます。
誰も読んでいないのかなと、つい、思ってしまいますので、励みになります。
今日は、新しいことを書き込もうと思ったのですが、現在調査中のことで、新発見がありそれに集中してしまい、疲れ果ててしまいました。
なんとか、数日中に書き込む予定ですので、読んでいただけると嬉しいです。