前回の「三角測量」に、明治時代の地図を掲載しました
。
そこには、「チャシパロマナイ」と「チャシケショマナイ」との記載があります。
両方とも、「チャシ」が共通します。
この「チャシ」は、アイヌの砦を意味します。このことから、どうも新十津川の徳富川には、アイヌの砦があることになります。
現行地図を見ると、「チャシパロマナイ川」がありますが、注意が必要です。
実は、明治の地図と位置が異なるのです。この理由は、前回も取り上げた大正時代の陸地測量部の地図です。
「チャシパロマナイ」との記載がどの川を指しているか不明の状態で記載しています。
このため、これ以降は、一本上流の川が「チャシパロマナイ」となってしまたのです。
本来の「チャシパロマナイ川」は現在の「学園六号川」です。
さらに、松浦武四郎の文献や「永田地名解」などの19世紀の記録から以下の結論に至りました
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チャシケソマナイ?チャシ・の(下)端に・ある・川 (無名川)
チャシレロマプ?チャシ・の向かい・にある・もの(川)[学園沢川]
チャシパオマナイ?チャシ・の上・にある・川 [学園六号川]
この3つの川の名は、チャシの「下、向かい、上」をそれぞれが意味しますから、下の図の位置にチャシがあることになります
。

これを発表したときも、幌加内町のチャシ位置を特定し、発表したときも、反響があるのではと期待したのですが、まったくありませんでした。
19世紀の記録から、それよりも古い歴史を確認できることは、調べていても楽しいことです
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皆さんも、調べてみませんか。


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