今日の某新聞朝刊の「ひと2010年」欄で、美唄と浦臼を結ぶ渡し舟のことが記載されていました
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文化4年の近藤重蔵の地図には、浦臼と美唄の間に朱線が描かれています。
これは、夷人路とのことですから、当時のアイヌの方々が使用していたことを意味しますから、当時も渡し舟があったことになります
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その場所は、下の図の矢印部分です
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明治になり、その同じ場所に渡船場が設置されました。
やがて、三軒屋のΩ状のくびれた部分が直線化され、美唄から浦臼町に編入されました。 そして、渡船位置も変わりました。
この美唄と浦臼を結ぶルートは、三笠の達布山につながり、市来知川、苗川につながるルートです。
以前に記載した、岩見沢のアイヌ古道は、実は、この美唄と浦臼の渡船場につながるものだったのです
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