美浦渡船は岩見沢に続く

  今日の某新聞朝刊の「ひと2010年」欄で、美唄と浦臼を結ぶ渡し舟のことが記載されていましたうふふ

 文化4年の近藤重蔵の地図には、浦臼と美唄の間に朱線が描かれています。
 これは、夷人路とのことですから、当時のアイヌの方々が使用していたことを意味しますから、当時も渡し舟があったことになりますビックリ
 その場所は、下の図の矢印部分ですグッド
 明治になり、その同じ場所に渡船場が設置されました。
 やがて、三軒屋のΩ状のくびれた部分が直線化され、美唄から浦臼町に編入されました。 そして、渡船位置も変わりました。

 この美唄と浦臼を結ぶルートは、三笠の達布山につながり、市来知川、苗川につながるルートです。
 以前に記載した、岩見沢のアイヌ古道は、実は、この美唄と浦臼の渡船場につながるものだったのですラブリー

 

tosenba.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.zawablo.com/secure/mt-tb.cgi/946

コメントする

プロフィール


  • ニックネーム:19世紀の空知

カテゴリ

このブログ記事について

このページは、19世紀の空知が2010年7月 5日 18:49に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「松浦武四郎の描画記録(3)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。